本物の名探偵
平塚八兵衛が追った事件

平沢貞通

平沢貞通は、北海道小樽市出身のテンペラ画家です。戦後の混乱期に発生した大量毒殺事件である帝銀事件の犯人として逮捕され、死刑が確定しました。しかし刑の執行も釈放もされないまま、逮捕から死までの39年間を獄中で過ごしました。

平沢貞通の生涯

1892年2月18日生まれ。1911年、日本水彩画研究所に入所し、1912年、旧制札幌中学校を経て、同小樽中学校を卒業しました。1913年、日本水彩画会結成に石井柏亭・磯部忠一らとともに参画します。1914年第一回仁科展にて『昆布干すアイヌ』を出品。初入選し22歳の若さで中央画壇に登場します。1919年、第一回帝展に出品、1921年には第9回光風会展で今村奨励賞を受賞しました。1930年、日本水彩画家会委員に就任しています。実力派の画家としての地位を確立していましたが、1948年1月26日に帝国銀行椎名町支店で男が行員らに毒物を飲ませ、12人を殺害した「帝銀事件」の犯人として同年8月21日、突如警視庁に逮捕されました。類似事件で使用された名刺を受け取っていたのに持っていなかったこと(平沢は財布ごとスリにあったと主張)、過去に銀行相手の詐欺事件を4回起こしていたこと、出所不明の現金を持っていたことなどが決めてとなったと言われています。この現金については作家の松本清張らが、当時画家として名が売れていたものにとっては不名誉な副業(春画の作成・販売など)で得たものではないかと推理しています。平沢は取調べで自白しましたが、公判では無実を主張しました。しかし、裁判では1955年に死刑が確定しました。

平沢貞通氏を救う会

平沢は虚言癖や記憶障害、判断力低下をもたらす「コルサコフ症候群(狂犬病予防接種の副作用)」にかかっており、過去の銀行詐欺事件や帝銀事件の自白もコルサコフ症候群による虚言ではないかと指摘する意見もあります。平沢の自白以外に決め手となる物証が乏しいことや、捜査当初、旧陸軍関係者が犯人として推測されたことなどもあり、平沢を真犯人とした確定判決に疑問を持つ人も少なくありませんでした。そういった人たちによる「平沢貞通氏を救う会」が結成されたほか、自民党の大野伴陸、日本社会党の田英夫をはじめとする超党派の国会議員や、作家の松本清張といった文化人、法曹関係者などが死刑の執行停止や再審、恩赦の救援活動を展開しました。こうした動きや平沢の高齢を配慮して、歴代の法務大臣も死刑の執行を見送ったことから、平沢が処刑されることはありませんでした。また、「救う会」の事務局長を務めた森川哲郎の長男・武彦は、平沢が獄死しても再審請求を続けるため、後に平沢の養子に入りました。平沢獄死後も「救う会」の活動を続けていましたが、2013年10月1日、自宅で死亡していたところを知人と警視庁杉並警察署署員によって発見されました。知人が武彦と数週間連絡が取れなかったため、杉並警察署に相談していました。事件性はなく、9月中に病死したものと見られています。

平沢の晩年

平沢を救う会では、死刑が確定してから1ヶ月半後の1955年6月、再審請求を行いました。しかしこれは棄却され、以後19回に及ぶ再審請求を行いますが、いずれも棄却されました。恩赦出願も1962年から5回行いましたが、法務省に設置された中央構成保護審査会はいずれも「恩赦不相当」の議決をしています。また、死刑が確定してから30年が経過した1985年には「死刑の時効が成立する」として、身柄の釈放を求める人身保護請求の裁判を起こしましたが、「拘置中の死刑囚には時効は進行しない」として棄却されました。その直後に平沢側は、「心神喪失に準ずる扱いをすべきだ」と死刑の執行停止を求めますが、法務省は拒否の回答をしています。平沢が重体に陥った後の1987年3月末には、「死刑執行という目的を失った拘置は違法だ」として釈放を求める人身保護請求の裁判を改めて起こしています。長年宮城刑務所に収監されていましたが、その後高齢のため体調を崩し、1984年5月10日に八王子医療刑務所で肺炎を患い、獄中で病死しました。39年間に渡る獄中生活は1万4142日を数え、確定死刑囚としての収監期間32年は当時の世界最長記録でした。

獄中での生活

平沢は入獄後「光彩(こうさい)」と雅号を変え、獄中の画家として1300点を超える作品を描きました。宮城刑務所時代は特別にアトリエを与えられて画作に取り組み、支援者の手によって国内外でしばしば個展を開いていました。絵の材料は支援者らが差し入れていましたが、画用紙は神田の文房堂のものをと注文をつけていたそうです。八王子医療刑務所に移ってからは、老衰と白内障による視力障害などのため、ほとんど絵筆をとらなかったそうです。また、養子の武彦らが面会するたびに「無実だから早く出たい。小樽の両親の墓参りをしたい」などと語り、好きな日本酒を味わうのを楽しみにしていたといわれています。

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著書

画集
「平沢貞通画集」アオイコーポレーション
「祈りの画集 獄中37年、生と死のはばまより」ダイナミックセラーズ
著書
「われ、死すとも瞑目せず 平沢貞通獄中記」毎日新聞社
「遺書 帝銀事件 わが亡きあとに人権は蘇えれ」現代史出版会

平沢貞通を演じた俳優

信欣三
1964年の映画「帝銀事件 死刑囚」
仲谷昇
1980年のテレビ朝日のドラマ「帝銀事件」
高橋昌也
1980年の映画「さらば、わが友 実録大物死刑囚たち」
榎木孝明
2009年のテレビ朝日開局50周年記念「刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史」

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