本物の名探偵
平塚八兵衛が追った事件

実在した名探偵・平塚八兵衛

世界にはたくさんの名探偵がいます。シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポアロ、ミス・マープルなどが有名ですね。日本の名探偵では、古畑任三郎や赤かぶ検事、最近では相棒シリーズの杉下右京や、江戸川コナン、金田一一などアニメのキャラクターにも「名探偵」と呼ばれる人物が続々出てきています。彼らは主に推理小説などに登場して殺人事件を解決し、犯人を捕まえます。ですが実際の探偵の仕事といえば、身辺調査や、浮気調査、人探しなどが主で、実在する名探偵というのはあまり聞いたことがありません。そこで調べてみたところ、出てきたのがこの「平塚八兵衛」でした。彼は正確に言うと探偵ではありません。警視庁に在籍した刑事でした。昔の日本では「探偵」という言葉は、刑事のことを指していたので、あながち間違いではないでしょう。彼は20世紀最大の未解決事件「三億円事件」の捜査主任を務めたほか、数々の難事件を解決に導いた、まさに「名探偵」の名に相応しい人物なのです。

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平塚八兵衛という人物

1913年9月22日生まれ。茨城県新治郡土浦町出身。旧制常総学院中学校卒業。同校卒業後、土浦で農業に従事していましたが、ある事件で誤認逮捕され、土浦警察署での取調べ中に殴る蹴るの暴行を加えられるという経験をしました。この暴行の経験に発憤した平塚は、警察官になる事を決意して上京し、警視庁に入庁します。1939年(昭和14年)、鳥居坂警察署(現在の麻布警察署)に配置されます。当初は外勤と呼ばれる交番勤務でしたが、平塚の検挙率は同庁でトップとなり、間もなく「花の捜査一課」へ移動することになりました。以後、1943年(昭和18年)から1975年3月の退職まで刑事部捜査一課一筋を貫きました。

刑事時代

刑事時代は「落としの八兵衛」「鬼の八兵衛」「捜査の神様」「喧嘩八兵衛」など様々な異名を持つ敏腕刑事として知られていました。在任中に手がけた事件は殺人だけでも124件に上り、後述するような戦後の大事件の捜査でも第一線に立ち続けていました。その中でも特に平塚の名を高めたものとしては、戦後最大の誘拐事件と言われた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」があります。この事件では、犯人に身代金を奪取された後、犯人の声をメディアに大々的に報道されてしまい、国民的関心が高まる中で迷宮入りかと言われた中、平塚は粘り強い取調べを行い、犯人の小原保のアリバイを崩して自供に至らせました。平塚の活躍で小原は死刑判決が下されましたが、死刑執行直前に「私は今度生まれるときは真人間になって生まれてきます。どうか、平塚さんに伝えてください」と言い残しており、このことも平塚の知名度を上げるきっかけとなりました。この事件の他にも、帝銀事件や下山事件など、さまざまな事件の捜査を担当しています。巡査から巡査部長・警部補・警部・警視と全て無試験で昇任しているエリート刑事で、退職までに警視総監賞を94回受賞したのをはじめとして、帝銀事件では「警察功労章」を、吉展ちゃん誘拐殺人事件では「警察功績章」をそれぞれ受賞しています。

退職後

1975年、平塚は三億円事件捜査主任を最後に刑事を退職。三億円事件の公訴時効が成立する9ヶ月前のことでした。退職時の階級は警視でした。その年には毎日新聞と産経新聞に捜査事件のレビューが掲載されました。その後事件のコメンテーターとして、テレビ番組や映画「実録三億円事件 時効成立」に出演したり、三億円事件に関する本の執筆、映画の監修などを務めました。また、自身が逮捕した犯人で死刑となったものたちの墓参りに行きました。このうち、吉展ちゃん誘拐殺人事件の犯人・小原保の墓参りに行った際、彼が先祖代々の墓に入れてもらえず、横に小さな盛り土がされただけの所に葬られていた事に愕然とし、泣き崩れたそうです。平塚は、退職から4年後の1979年に膵臓癌により死去しました。66歳でした。平塚が逮捕した被疑者は極刑に処せられた者も多かったのですが、結局帝銀事件の死刑囚である平沢貞通より先に鬼籍に入ることとなってしまいました。

平塚の著書

平塚が捜査に関わった主な事件

小平事件
1945年から1946年にかけて、東京とその周辺で発生した連続強姦殺人事件。
片岡仁左衛門一家殺害事件
1946年3月に発生した殺人事件。歌舞伎役者・十二代目片岡仁左衛門一家5人が殺害された。
帝銀事件
1948年に帝国銀行椎名町支店で発生した毒物殺人事件。
下山事件
前日に行方が分からなくなっていた国鉄総裁の下山定則が死体となって発見された事件。1949年に発生。
BOACスチュワーデス殺人事件
1958年、英国海外航空の日本人女性スチュワーデスが扼殺され、遺体となって発見された事件。
吉展ちゃん誘拐殺人事件
1963年に東京都台東区入谷で起きた男児誘拐殺人事件。
カクタホテル殺人事件
1967年、東京都品川区のカクタホテル208号室で北海道室蘭市の会社員・平山房子が遺体となって発見された事件。
三億円事件
1968年、東京都府中市で発生した窃盗事件。日本犯罪史に名を残す未解決事件。
大森勧銀事件
1970年10月に日本勧業銀行大森支店で、宿直行員が電気掃除機のコードで絞殺され、遺体となって発見された殺人事件。

平塚八兵衛が残した言葉

平塚は刑事時代にいくつかの名言を残しています。それらの言葉は、後に平塚が扱った事件がドラマ化・映画化された際に、実際にセリフとして使われました。

平塚八兵衛を演じた俳優

平塚が捜査に関わった事件はドラマ化されているものが多く、それらのドラマには平塚をモデルにした刑事が登場することがほとんどでした。ドラマの中で平塚を演じたことのある俳優は以下の通りです。

平塚八兵衛の人生

「昭和史に残る名探偵」と名高い平塚八兵衛ですが、その人生のほとんどを刑事として過ごした人でした。何年か前に彼の息子さんが自分の父親について書いた記事が新聞に載っていたのですが、それによれば平塚はほとんど家には帰らず、仕事一筋の人間だったのだそうです。息子さんはそんな父親の姿を見て、人殺しを捕まえるよりも人を救う仕事がしたいと医者の道を歩むことを決めたそうです。そういった反発心の中には、「帝銀事件」での冤罪説やそれに伴う平塚への批判などを見ていたせいもあるかも知れません。平塚の刑事としての腕については、前述の冤罪説もあり賛否両論に分かれるところですが、私の個人的な意見としては、彼の推理力や地道な捜査、犯人の心理を読み取る力など、やはり「名探偵」であったと言えるのではないかと思います。三億円事件など未解決のまま終わった事件も多く、本人としては無念だったのではないかと思いますが、彼がいなければ未解決事件はもっと増えていたと思いますし、「吉展ちゃん事件」の犯人のように、平塚に出会ったことで改心したものも多かったのですから、彼の存在は日本警察界においてかけがえのないものだったことは確かです。「平塚八兵衛」の名前は、歴史に刻まれ、語り継がれていくことでしょう。